記録 震災フォーラムで話したことのだいたいのこと

10年。
忘れることはないし、どんな思いの中なくなったのか想像もよくする。でも、そうすると動けなくなるから、考えないようにしている。

私の状況を知らない人からみたら、よっぽど行間が読める人じゃない限り、大きな悲しみやどろどろざわざわした気持ちに、気づかなかったんじゃないかと思うくらい、普通に過ごしてきたと思う。

最初は社会がこわかった。人との接し方もわからなくなっていた。今までできたこともできなくなっていたし、できていないことにも気づけていなかった。でも必死に過ごしてきた。

でもそれは、自分の内側のことでよそから見たら普通に過ごしてきたと思う。

内側で悲しみを抱えて、自分はどう生きればいいかいいか深く考えすぎていた時期もあった。
例えば、震災を伝えていくのか、教訓としていく活動をするのか
日常では笑ってはいけないのか
悲しみを見せず凜として生きていくのか
こうやって話していることもどう思われているのか

特に、喪った命を無駄にしない様に活動している人、今も家族を自ら探す人、私達が日常を過ごす中で私達家族を探してくれている人達をみると、ただ過ごしていることに罪悪感を感じることもあった。

でも今は一日一日、自由な思いで、好きに過ごそうと思うようになった。
・・・思うようにしている。

こうやって人前で話したり取材を受けることもあるけど、笑って話せる、泣くことはない。その時ですら笑う 人前にいる自分 というペルソナを外すことができないことが苦しいと思ってきたけど、今はそれも自分なんだと思っている。

こうしてまとめて簡単に話すと、現実を受け入れたとか、気持ちが落ち着いた、変化したとかみたいに伝わって、それを「乗り越えた」とか「前を向けた」みたいに言われるかもだけど、それは私にとってどれもしっくりくる言葉ではない。

そして、そういうしっくりしないことを言われることをいちいち気にしていたこともあったけど、今は気にしないようにしようと思っている。気にするけど。

生かされた命、奇跡的に助かった命、そういう表現を聞くと、私の子供は生かされなかったのかといちいち気にしていたときもあったけど、そういうこともあまり気にしすぎないようにしようと思えるようになった。気になるけど。

いろんな思いがあるけど、私は生きると決めたので、雅人とお浄土で会える日まで生きていく。

3月11日は、私にとって永遠に悲しい、悔しい、苦しい日だけど、3月11日がとても素晴らしい日の人もいる。それはお互い様。
毎日が誰かのすばらしい日で、毎日が誰かの悲しい日。

今年はあの日に生まれたお子さんを取材したものもいくつかあった。
その中には、自分の誕生日を素直に喜べてないように伝わる報道もあった。
とても悲しかった。こんなにすばらしいことを喜ぶことができない。そうさせた世の中、私自身も含めて、そんな雰囲気が、すごく悲しかった。
だから私はもし震災を伝え続けていくなら、3月11日という日付ではなく、あの日の事実や教訓を伝えていきたいと思う。

雅人がいなくなったことを自分の中心に置き続けることは、あまりにも悲しい。
雅人が生まれてくれたこと、一緒に過ごした8ヶ月忘れないで生きていく。

と、思うようにして、生きていく。



追記
このあと、ある記者さんに
あの日生まれたこどもたちの報道に、わたしのような感想があるとは思わなかったと言われた。
生まれた命はすべてすばらしいということですかと。

当たり前じゃないですか!
もし直接言えるなら、あの報道に出ていた子に伝えたい。
少なくても私は素晴らしいと思っているし、心から祝福していますと。

と、話しました・・・。






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雅人と会えなくなって10年だって



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雅人と会えなくなったからではなく
雅人が産まれてくれたから
たくさんのご縁に恵まれました
雅人ありがとう
ありがとうをありがとうね




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記録

夜中にふと、めずらしくお母さんが出てきたなと、思ったことだけ覚えてる。

どんな夢だったかは、もう、覚えていない。
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生きていくという選択

今日も
生きている

それは
奇跡でも
生かされてるわけでもない

必然なわけもない

ただ偶然に

生きている

偶然の積み重ね

その積み重ねを
素晴らしいと
思わせてくれる
きらきらした命

それは
ひかりでも
かげでもない

いつもより
大きな声で
いってらっしゃいと言うと
いつもより
しっかりした声で
行ってきますと
返してくれた


おかえりなさい

今日も
必ず
抱きしめられると
毎日信じて





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あの日の直前

近づいてくると、どうやって過ごす?という会話になるんだけど、毎年すぐには決めれなくて。今年もそうで。

とりあえず、みんなが好きなものでも用意しようかなとふと思って、お父さんお母さんが好きだったものを弟たちと思い出して。
お父さんの妹にあたるおばちゃんにも相談して。

たいしたものじゃないけど、買ったり作ったりして過ごしていて、今日になった。

昔、家でよく見たお菓子。お酒。
父が田舎から送られてきて喜んでいた、南部せんべいや豆しとぎ。
父が作ってくれたすいとん。田舎の郷土料理のひるびっこ。
母の好きなレーズンサンド。
母が好きそうな色の花。雅人に似合いそうな色の花。
雅人が食べていたお菓子。もう少ししたら食べていただろうお菓子。
お気持ちでいただいた、お花やお菓子。

普段は日常を優先に心がけているから、こんな感じになるのは、この日と雅人の誕生日くらい。


前もって立派に予定立てれるほど、気持ちにも、日常にも余裕はなくて。そんな日常の中で少しずつ。


そんな中で、あちこち行ってバタバタするその日は、お昼はどうしようか・・・という話になって。大人だけならなんでもいいけど、娘もいるし。せっかくだから、成長した雅人が好きそうなものを・・・と考えたり、娘と相談したり。
でも無理だった。雅人の好きだったかもしれないものを、あの日のお昼には食べることできない。できない。できないと思って、娘に話して、深く考えない食事にすることに。


明日は、静かに、自分たちの好きなように、過ごそう。



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プロフィール

雅人ママ

Author:雅人ママ
※ブログの無断リンクや内容の無断転載はお断りです。一言お声掛けください。

わたしにご用の方はリンク先の雅人のとうちゃんまでご連絡ください。


2011/3/11 両親・祖母・最愛の息子の雅人と会えなくなりました。
父は見つかり祖母はDNA鑑定で見つかりましたが母と息子の雅人はまだ行方不明です。つむぎの会代表の田中さんに出会い、悲しみは愛だとわかり愛という名の悲しみとありがとうと共に生きています。
雅人に会えるその日まで悲しみの中にも咲いてくれるありがとうの花をたくさん集めて、大きな花束にして雅人にプレゼントします。

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